パンツはどの時点から魅惑のランジェリーへと昇華するのか。
3年前くらいだったかな?
友人の結婚式へ向かうため、高速バスに揺られながら暇を持て余した俺は何を思ったかパンツに対する考察をTwitterにぶちまけたことがあった。
その問題のツイートがこれだ。
【パンツに対する考察1】
— 天王寺トモ@HAD会長 (@had_kaicho) 2016年4月2日
例えばしまむらや、アパレルショップなんかに並んでいるパンツがあるが、流石の俺もそれには何の魅力も感じない。故に陳列されているパンツはまだ布の域を出ていないと考えられる。
【パンツに対する考察2】
— 天王寺トモ@HAD会長 (@had_kaicho) 2016年4月2日
ではどの時点でパンツは神聖なものへと昇華するのか。例えばそのパンツを幼女が購入したとしよう。陳列物から幼女の所有物へと変わったわけである。ただ、まだこの時点では少しその格はあがるものの、ただの布をであることには変わりないだろう。
【パンツに対する考察3】
— 天王寺トモ@HAD会長 (@had_kaicho) 2016年4月2日
もう答えはわかっている。幼女がそのパンツを身につけた瞬間こそ、パンツがただの布から魅惑のランジェリーへと昇華する唯一の瞬間なのである。新品のパンツを布をから正真正銘のパンツへと昇華させるこの行為を、俺は敬意を込めて神合成と呼ぼうと思う。
【パンツに対する考察4】
— 天王寺トモ@HAD会長 (@had_kaicho) 2016年4月2日
一見答えが出たように思えるがまだ謎は残っている。
では、神合成はいったいどの瞬間になるのかという謎だ。
【パンツに対する考察5】
— 天王寺トモ@HAD会長 (@had_kaicho) 2016年4月2日
例えば幼女がパンツに片足だけを通した時点で履くのをやめたとする。
この時点で神合成がなっていないのは明らか。完全にパンツを装着した時点では神合成がなっていることを考えると、足を通そうとしてからパンツを履くまでの間のどこかで神合成が行われているはずである。
【パンツに対する考察6】
— 天王寺トモ@HAD会長 (@had_kaicho) 2016年4月2日
では両足を膝下あたりまで通した場合はどうだろう?
シチュエーションとしてその感じは非常に好きなのは否めないが神合成の有無で考えると際どいところであるが私は無しの判定だと思う。
では膝上までいけば…あるいは太腿あたりまでいけば…
考えても答えは出そうにない
【パンツに対する考察7】
— 天王寺トモ@HAD会長 (@had_kaicho) 2016年4月2日
つまり考察だけでは結果を出すことは不可能なのだ。
何にしてもそうだが考察をした後、実験をしないことには答えを導き出せない。
つまり神合成はいつなるのか俺の実験に付き合ってくれる幼女募集中ということである✌️( ՞ਊ ՞)✌️
恐らく皆さん「何書いてんのコイツ?」って思うでしょうけど、俺はいたって真剣です。そして今日、字数制限が無いと言っても良いこの場で、この考察を深堀りしていければと思い立ったわけです!!
つまりパンツがパンツとしての魅力を得るのはいつなのか?
勘の良い方はもうお気づきかもしれません。
この記事、マジで見る価値ないぞ。
それでははじめていきましょう。
パンツ生成段階
上記考察では文字数制限から全てを省いてしまいましたが本来ならここから語るべきでした。
世にも有名な言葉に「パンツなんてただの布」という言葉がありますね。賛否両論あるかとは思いますが、これ間違いじゃないんですよね。パンツは布以外の何物でもありません。逆に布以外のパンツがあれば見たい気がしますね。実用的でないものであれば既にある気もしますが…。
例えば作られて間もないパンツを考えてみましょう。
丁度Youtubeにパンツ作る動画が載ってたんで貼り付けときます。しかしYoutubeすげーな。パンツ作る動画まであるんだもん。
と、まあそれは置いといて、これ見ると「パンツなんてただの布」って理論にも頷けますよね。前半マジでただの布だもん。それが職人さんの手でパンツの形に形成されてきますが、まあ魅力的かというと魅力はゼロですね。この時点では「パンツなんてただの布」です。
しかし「パンツなんてただの布」なんてのは「人間なんてただのタンパク質」って言っちゃうくらいの暴論で、間違いではないんだけどそうではないだろう。っていうのが俺のスタンスなんです。
つまり人間を人間たらしめる何かがあるように、パンツをパンツたらしめる「何か」があるんじゃないかと。そしてその「何か」とは何なのか、そしてそれはいつ付与されるのか、ここから詳しく追っていきましょう。
パンツ流通段階
作られたパンツはもちろん流通します。流通の手段は違えど、作り手から使用者へと渡っていくわけですね。Twitterでの考察もここから始まっています。
【パンツに対する考察1】
— 天王寺トモ@HAD会長 (@had_kaicho) 2016年4月2日
例えばしまむらや、アパレルショップなんかに並んでいるパンツがあるが、流石の俺もそれには何の魅力も感じない。故に陳列されているパンツはまだ布の域を出ていないと考えられる。
しまむらやランジェリーショップなんかで可愛い下着が並んでいるのを目にすることがあります。しかし、そこに並んでいるパンツに魅力を感じるかというと「NO」と言わざるを得ません。
悲しいかなそこに並んでいるのはパンツでありながらもただの布。世間でいうところの「パンツなんてただの布」論を体現したような空間がただ虚しく広がるばかりです。
つまりパンツの魅力は流通段階ではまだ付与されていないということでしょう。
パンツ購入段階
いよいよ物語も佳境に突入します。ここまでは布だけのお話でしたが、ここから登場人物がでてきます。
【パンツに対する考察2】
— 天王寺トモ@HAD会長 (@had_kaicho) 2016年4月2日
ではどの時点でパンツは神聖なものへと昇華するのか。例えばそのパンツを幼女が購入したとしよう。陳列物から幼女の所有物へと変わったわけである。ただ、まだこの時点では少しその格はあがるものの、ただの布をであることには変わりないだろう。
Twitterの考察でいうこの辺ですね。みんな大好き幼女ちゃんがパンツを購入するようです。幼女ちゃんが真剣に悩んで手に取ったそのパンツ、もうその時点でただの布ではなくなりつつあります。魅力を付与されたかどうかでいえば、まだでしょうが少なくともただの布から選ばれし布へと進化していることは明らかですね。
欲しいか欲しくないかでいえばちょっと欲しい。そんなところです。
パンツ使用段階
Twitterでも書いていますが、答えはもう出てるんですね。パンツがパンツとしての魅力を得るのはここなんです。
【パンツに対する考察3】
— 天王寺トモ@HAD会長 (@had_kaicho) 2016年4月2日
もう答えはわかっている。幼女がそのパンツを身につけた瞬間こそ、パンツがただの布から魅惑のランジェリーへと昇華する唯一の瞬間なのである。新品のパンツを布をから正真正銘のパンツへと昇華させるこの行為を、俺は敬意を込めて神合成と呼ぼうと思う。
パンツの使用を開始した瞬間、つまり幼女ちゃんがパンツを身に着けたその時にパンツはパンツとしての魅力を付与され、魅惑のランジェリーとして輝きはじめるんですね。
そしてTwitterではその後この神合成がおこる瞬間の謎を追う展開になっていきますが、結局答えは出ずじまいでした。しかし今回は字数制限も時間制限もない!つまり納得いくまで考察ができる!
ここからはパンツが魅惑のランジェリーへと昇華する瞬間について考察をしていこうと思います。
仮説1:パンツに片足でも突っ込んだ時点で魅力は付与されている。
別にしっかり履いてなくても片足でも突っ込めばもうそれは魅惑のランジェリーじゃねぇの?っていう仮説です。まあこうやって文字だけ見てもわかり辛いので手っ取り早く検証していきましょう。
今回は簡単にデザインドールをモデルにし、パンツの位置を赤く表示することにしました。
後はお前たちの想像力で補え!
と、いうわけで脳をフル回転させて妄想してみたんですけどね…
あれ、これ…えっちくない?
【パンツに対する考察5】
— 天王寺トモ@HAD会長 (@had_kaicho) 2016年4月2日
例えば幼女がパンツに片足だけを通した時点で履くのをやめたとする。
この時点で神合成がなっていないのは明らか。完全にパンツを装着した時点では神合成がなっていることを考えると、足を通そうとしてからパンツを履くまでの間のどこかで神合成が行われているはずである。
3年前の俺は偉そうにこんなこと言ってるけどさ、これは認識を改めた方が良さそうじゃない?だってこれ、すごいえっち。
いや、でもよく考えるとこれには凄いトリックがあって、上の図のようなパンツを見た時に人はたぶん『履きかけのパンツ』じゃなくて『脱げかけのパンツ』を想像するんじゃないですかね?
足に引っかかるパンツが妙にえっちなのは、その位置が問題なのではなく『かつて履かれていたであろうパンツがあの位置まで下がっている』その事実があってこそだと思うんです。
つまり、買いたてのパンツに片足を通したくらいではまだパンツに魅力は付与されない。こう考えても良いのではないでしょうか。
危うく見た目のエロさで我を失うところでしたが、なんとか持ちこたえました。
仮説2:膝くらいまでパンツを上げた時点で魅力が付与される
ここからは徐々に上にあげていきますよ。ここからはもう個人の感じ方の問題になってきそうですが、やれるだけやってみましょう。
まあこんな感じでしょうかね。
そしてなにこれ?えっちすぎない?
たぶん画像としては全年齢OKな画像ですが、妄想力のせいでかなりえっちな画像に見えてきました。
考察的にもこの時点で魅力が付与されたと考えても良いのではないでしょうか。例えこれが「履きかけのパンツ」でも「脱ぎかけのパンツ」でもこのパンツが魅力的に輝いていることに何ら変わりはないような気がします。
よって当ブログ的には「膝くらいまで上げた時点」をもってパンツに魅力が付与されると結論付けたいと思います。
仮説3:腿くらいまで上げた時点で魅力が付与される
当ブログ的には結論は出ましたが、これは感じ方に個人差がある問題でもありますし全ての仮説を検証する必要があると判断しましたので続けていきます。次は腿くらいまで上げた図です。
えっろ!
ただただエロい!これはもう8割がたの人がこの時点でパンツに魅力が付与されていると考えるんじゃないでしょうか。
仮説4:完璧にパンツを履いた時点で魅力が付与される。
さあ、とうとうこの検証も最後になりました。
履きました。
不思議なことに膝や腿まで履いた時点と比べかなりえっち度は落ちましたがこれはもう紛うことなきパンツですね。ただの布なんかじゃありません。
この時点までいけば完璧にパンツに魅力が付与されていると考えていいでしょう。
パンツをパンツたらしめる「何か」とは?
今回の考察の結果パンツをパンツたらしめる「何か」というのは「膝上~完璧に履くまでパンツを履いたかどうか」ということなのではないかとの結論が出ました!
と、一見答えが出たように思いますが、実はまだこれは完璧な答えではありません。この考察には穴がたくさんあります。
しかし、今回だけで結構な分量になってきましたしこれをHADの公式Twitterで宣伝するつもりなので、またたぶんミッキーから怒られます。会長なのに怒られます。
そこらへんの反応を見ながら、できれば第二回でこの考察の続きをしていけたらなって思ってます。それでは皆さん、第2回で会えるかな?お楽しみにー。